02話初稿2012.01.12 改稿2017.07.01 ♯2 [ 霊廟の名、シニケル ] アシャイアが≪鎮魂の霊廟シニケル≫に入るのはこれが初めてだった。 ライアーに付き従ってのことだったが、良く訪れるのかという質問には短く「是」と呟くのみで、どんな目的があるのかは知り得ぬままだった。 鎮魂、とはどういう意味なのか。霊廟、とは何のことなのか。アシャイアは結局、そこがどんな場所なのか分からぬまま、ライアーの後を付いて行った。 まず彼女は、物静か、という印象を抱いた。すれ違う人は年輩からライアーぐらいの年が多い。子供はいない。アシャイアは随分と場違いな気がした。 似た色調、似た装飾が描かれた壁画に沿って歩く。場面は神の生誕から降臨までか。単調な道が続くため、右に折れれば迷子になり、左に折れても迷子になった。 そのたびにライアーはアシャイアを連れ戻さねばならなかった。 片や傭兵のなりをした男と、もう一方は年端もいかぬ華奢な少女。まず歩幅が合わない。どうしたってライアーが先に進んでしまう。 アシャイアは、ライアーの破れたマントの裾を掴むことで、ことなきを得た。 この道はいつまで続くのだろう? ライアーと違って目的がないのだから仕方がない、次第に飽きて来た。すると突然ライアーが立ち止まった。 ひょっとして、心の中を見透かされたのだろうか。足の竦む思いで見上げると、自分を見下ろしているライアーと目が合った。 「すぐ済むから、大人しく待っているんだ」 すぐ済む? 待っていろ? ライアーはここに用があったのか。自分が入れないということは、ここは私のような子供には相応しくない場所なのだろう。そう納得して、頷いた。 ライアーが扉を開けると、中の様子が少しだけ見えた。ドーム型の室内、ステンドグラスから燦々と降り注ぐ光の筋、僧侶たち、祈りを捧げる人々。 その中に、ライアーは吸い込まれて行く。厳かな音を立てて閉じられる扉。 「死んだ人を祀る場所……?」 霊廟とは教会のことだったのか。ライアーが立ち寄ったからには、亡き妹ラウを弔っているに違いない。 アシャイアはアシャイアなりに、じっと待ちながらそう考えた。 * 真上にあった太陽は、霊廟から出ると位置を大きく変えていた。黄昏色に染まった空を見て、日が暮れると知ったアシャイアは、今宵の宿に思いを馳せた。 またあそこだろうかと思うと気分が萎えた。単に寒さを凌ぐだけの場所。旅人たちがぎゅうぎゅう詰めで寝る大部屋。 仕方がない。何をするにもお金という対価が発生する。自分はそれを持っていない。持っていないどころか、ライアーの世話になりっ放しだ。 朝昼晩の食事、宿泊代。補ってくれるのは他でもなくライアーだ。ものごとの決定権はライアーにある。 感謝の気持ちを引き出したアシャイアは、大所帯の寝床でもありがたいと思うことにした。 ライアーにお荷物だと思われたくない。仲違いと別離は、忌避すべき事項だった。 * アシャイアの予想通り、宿泊先は20人が1部屋で眠るような簡素な宿だった。入り口では先払い。店の規則に則り、ライアーは剣を預けねばならなかった。 薄い葦の上に布を敷き、へたれた枕と、掛け布団と呼ぶに呼べないお粗末な大布を被るのだが、それを設置するのは宿側ではなく自己責任だった。 夕餉を済ませてきたので、2人の場所は窓際の隅、それも他の利用者に悪態をつかれながら、位置をずらして貰わなければ敷けないような有様だった。 荒くれ者、浮浪者、盗賊。周りは胡散臭いなりをしている男ばかりで、アシャイアを舐めるように見やる。 耐えなければと思うが、やはり生理的に受け付けられない。とにかくライアーの傍を離れたくなかった。 * 布団の上で荷物の整理をしていたライアーは、うとうとし出したアシャイアに気付いた。 「眠いのか? 待ってろ。今、荷袋をどけるから」 「何だか……暑いんです」 「暑い? そう言えば、顔が赤いな。熱でもあるのか? 気分はどうだ」 「お腹が……痛い」 「身体の節々じゃなく、お腹が……? いつからだ?」 「夕飯を食べてから」 「食べ物が中ったのか。立てるか? 宿屋の女将に薬を分けて貰えるか聞いてみよう」 ライアーは立ち上がり、受け付けに駐在しているであろう女将の所へと向かった。 両手でお腹を抱えていたアシャイアも、ライアーの後を追うため立ち上がろうと、掛け布団に手を付いた。その手に生温さを感じたアシャイアは、掌を見やる。 赤い。手が赤く染まっている。どうして? 手に怪我なんか負ってないのに……。 次に掛け布団を見た瞬間、アシャイアはひっと咽喉の奥で悲鳴をあげた。 今まで自分が尻に敷いていた大布に、血がべっとりと付いているではないか! なぜ今まで気付かずに座っていたのだろう? でも確かに敷いた時、布は白かった……。 身体を捻り、自分の臀部を見た。薄い生地から血が滲んでいる。どうして、どうして――! 「あ、ああっ……?」 私はどこかが悪いのだろうか。不治の病に冒されたのだろうか。私は死ぬのだろうか。 「たす……ライ……!」 頼れるのはライアーしかいない。だが足が震え、一歩も歩けない。周りにいた客がアシャイアの異常に気付き始める。 「おい、あの女の子……」 「あ? 女? どいつだ?」 「ほら。あそこの……」 「マジか。おい、女がいるってよ」 「待て。様子がおかしくないか?」 (ダメ……。見ないで……! ライアー、ライアー! 早く来て……!) 「アシャイア。女将に薬を分けて貰えるぞ。良かったな」 「全く。腹痛の薬ぐらい、そっちで用意して貰わないと困るねぇ! 1包とは言え、代金は貰うよ!」 ライアーの後ろから、明らかに迷惑そうな女将が水と薬を携え、やって来る。 アシャイアの様子に違和感を覚え、ライアーは眉根を寄せた。血の臭いがする。それもアシャイアから。 「ちょっとアンタ! 布団が血塗れじゃないかい! どうしてくれるんだい、全く! 汚いから早く――」 女将がなじる。アシャイアが謝ろうとした時、腹部に激痛が走った。思わずその場にしゃがみ込む。 「アンタ……月の物かい! 困るよ、こんな男どもの中に居て貰っちゃあ……」 ライアーはハッと顔を上げた。無頓着な女将の大声に、周りの男たちが騒ぎ出したのだ。爛々と光る目は、女を狙う男のそれだった。 ここは危ない。そう判断したライアーは、だが一瞬躊躇した。具合の悪いアシャイアを動かして良いものかどうか――。 だが、ここに居続けられようはずも無かった。 荷袋とアシャイアを担ぐと駆け出し、受け付けの奥の棚から自分の剣を掴み、宿から逃げ出した。 * ライアーは、もう良いだろうと思える場所まで走り続け、宿から距離を取った。その間は一切、背中で揺れていたアシャイアを気遣えなかった。 人通りのない通りでアシャイアを降ろすと、自分の上着を脱いで彼女に羽織らせる。 「アシャイア、アシャイア、大丈夫か?」 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔に、髪の毛が一緒になってへばり付いていた。宿では頬だけが赤かったのに、今や鼻の頭まで赤くなってしまっている。 「お腹は平気か? 気分は?」 地面に跪くと、下から窺うようにアシャイアを見た。ライアーは彼女の乱れた髪を直し、自身の袖口でアシャイアの鼻水を拭い取ってやった。 「恥ずかしさで……痛み……感じない……。どうして私……今までこんなこと、なかったのに。どうなってるの、私の身体?」 ひっく、と肩が揺れる。左目から涙が零れ、右目から涙が溢れた。 「アシャイア。心配するな。大丈夫だ。大丈夫だから」 そう言うと、包み込むように抱き締める。ライアーのその温もりがアシャイアには嬉しかった。 だがライアーは不安を抱えていた。 未だかつて直面したことのない事態に、自分は困惑している――。 幾らアシャイアが安堵する言葉を並べ立てたところで、どうすべきか彼には分からなかった。 (→3話に続く) |